第22回

 評価することと作ることには、どうにもならない差がある。それは評価する者はいくらでも過去を美化できること。
 楽しいことをもっと楽しくしていくと、それはいつしか自分の一部になる。その一部は生まれたての肌であり、これから汚されなければいけないものだけど、大抵の人は自分の息子を成長させるようなことはしない。だが作る人間は、逆に自分の赤子を泥にまみれさせなければいけない。そうして育てなければいけない。
 その汚れた物を、評価するものは遠巻きに眺める。自分の赤子には触れさせることなく、自分が本当に楽しいとは思わない部分で、その作品に言葉を呟いてしまう。
 作る人間は綺麗な作品に憧れるが、その憧れはやがて消えてしまうものだ。そして同時に、見る者の赤子も何処かに隠されてしまう。いつのまにか成長した子供を、評価する者はいつも認知し続ける。
 これが言葉の支配しない世界の日常だ。つまり評価して作る私達の毎日なのだ。