結構時間が経ってしまった

 ずっとPSPO2やってる。
 まだノーマルクリアなんで先が長い。


 全然SRCとは関係ないサッカーのこと。
 自分は日本代表だけ応援している浅いファンなのだけど、そんな浅さでサッカーファンのブログを巡回していて驚いた。何に驚いたかっていうと、ブログ記事に「文章は客観的に書かれなければいけない」とか批判するコメントがあったんだ。
 それってありえないんだよね。文章ってのは主観で書かれるものだから。
 むしろその文章が主観的に書かれているのを受け入れて、そこから客観性を検討したり、主観に賛同したり反対したりするのが、読むって行為だと思っていたんだが、そういう前提条件をすっぱり忘れてしまった人もいるようだ。
 おまけに感情的になりやすい試合だったんだから、湧き上がってきたものをひとまず脇に置かないと、戦犯探しをしない文章は一切合財「客観的でない」って思いかねんのにね。


 あ、名前のない文章ってのは別に匿名掲示板に限った話じゃないよ。新聞なんてその最たるものだ。だから新聞は事実があったってことはわかっても、鵜呑みにはしないよね。特にコラムなんかは記者の中で作ったドラマに照準を合わせて事実を繋ぎ止めるもんだと思うんだけど、どうだろう。


 それにしても、今は目の前の文章を信用しすぎている人が多いってことなのかな。信用っていうとまた漠然としてしまうか。そもそも読む気になるってこと自体が信用だし。
 信用するけど信頼はしないべき、って言葉にしてしまうと、ちょっとありきたりかねえ。

第47回

 ドラクエ9の話。


 主人公について。


 必然性が薄いという意見があるが、それは確かにそうだ。
 個人的にはもっと師弟の絆を書いて欲しかった。
 女神の果実を集める時にちょくちょく出てくるとか。
 「敬愛する師匠が命を賭けても救いたいと思った人が間違ったことをしているので弟子の自分が止める」
という設定がうまく回ってないから、必然性も薄く感じる。


 ただ主人公として世界を救う必然性は薄いことを逆に考えられる。
 なぜならプレイヤーはゲームを遊ぶ限りにおいてゲーム世界を救う必然性が常にあるわけだけど、
ドラクエ9はそのプレイヤーの意志が直接的に世界を救っていくRPGだとも言えるからだ。


 そういう意味で「天使」というのは面白い設定だ。
 現実世界の我々はゲーム世界を神の視点に立ちつつその中で動く。
 その現実と虚構の中間にいる人間は、選ばれた「勇者」というよりも「天使」と呼ぶのがふさわしい。
 そこまで考えていたとは思わないけど、うまくゲームへの体感とマッチした設定だったと思う。

第46回

 希薄な世界
 この誰も把握できない、誰にもわからない世界よ
 お前は誰が作った
 やはり愚か者たちがいたずらに剣を振って作ったか
 賢い者などいない
 人間が賢くなれるのば、避妊を当たり前だと思える点だけだ
 私は貴方を途惑わせる猿に過ぎない
 貴方は猿か

第45回

 何のために表現するか、
 一つはよくわからない自分自身のことを明らかにするため、
 もう一つは周囲に自分という存在を働きかけるため、
 この二種類に分けられるものだと思います。
 けれど、この二つが同じ方向に向くためには努力が必要だし、
 受け取る側はこの二つを最初から同じものだと考える人もいます。
 作り手と受け手が作品においてだけしか会話が成立しない理由です。
 誰も自分の今が間違っていると考えたくないからです。
 本当は、作者とその作品を作った時の人格は、違います。
 けれど作者は別の人格の手柄を自分のものにしたい。
 批評家と批評する人格は、違います。
 けれど批評家は批評した時の全能感を自分のものと考えたい。
 永遠に罵倒し続ける関係は、お互いが内面を偽っているから生まれるし、
 その偽り具合によっては、建前としてでも素晴らしい調和が生まれます。

第44回

『信心について』


 愛を信じたとする。
 この世には愛せる人がいて、愛せない人がいる。
 愛を信じる人間は、愛せないものを抹殺する。


 処刑の方法は千差万別。どう殺すのかは信者次第。
 彼らは死神を呼ぶことを好む。
 透明な、匿名の、それでいて彼らの兄弟であるもの。


 自分が今、一つの可能性を棄てようとしている。
 死神は自分と同じ穴倉からやってくる。
 目の前にある幻像が、線の向こうに追いやられる。


 今が壊れた時、自分は死ぬ。死神に道連れにされて。
 自分には泣き喚くだけの価値がない。
 比べられ、消えていく、砂の城

第43回

 『おりあい』


 私は目の前にある笑顔のように笑い、心は感情を知らない。
 この本性は楕円の球体である。表面はただ砕け欠けてきた。


 意識は脳にあろうと、その脳は心臓によって生きる。
 血液の流れは歯車である。私はこの一個の機械を慰める旋律であった。


 肉体は眼前の肉体に呼応するが、私は新しい束縛に悲鳴をあげる。
 その様を唇と頬がサディスティックな喜びで迎え、また心が成り下がった。