ひまじん

白夢さんが引かれていた記事があまりに変なのでネットでではあるが調べてみる。



http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-1.html

同じ題材を取りあげているが、まず引用されている文の書き方が違っていたりする。

数値的なこと。江戸時代で江戸の人口が100万人だったと言われてますが、



http://www.toukei.metro.tokyo.jp/jugoki/2002/02qdj210003.pdf

享保6年(1721)の段階で町人人口は約50万、そのうち女子は17万。武士人口がこれと同程度と考えても、大阪夏の陣(1615)から100年後の首都でも50万なんて人数はとても調達できそうにない。



http://mizutani.cocolog-nifty.com/book/2005/08/post_661c.html

戦国時代の人口は1800万人〜3500万人だったらしいので、江戸の男女差を当て嵌め額面どおりに考えれば12〜23人の割合で売り飛ばされていたことになる。



とはいえ江戸に入ってからでも貧しい家の子は女郎屋に買われたりしたわけだし、別に人身売買がなかったとは思わないけれど。当時の貿易関係の記事とか見つかればどのくらい金銀に頼っていたかわかったかもしれませんが気力がないです。人数の桁が二つは違うんじゃないかと思えれば満足です。



ところでその女郎屋の話。



http://www.tilolu.com/yoshiwara/yoshiwara-7.htm

>江戸時代、吉原の遊女の死亡記録を見ると、二十歳代の前半が一番多かった。

かわいそうに。