愚考

自分が面白いものを作れるのだろうか、という疑問がそのまま自分は面白いものを作る能力があるのか、つまり自分は能力者なのかと変移してゆけば、そこに他者からの反応が気になるのは当然のことだ。
が、最初の疑問を自分が面白いと思うものは何なのだろうか、というように分岐させてしまえば、それは単なる自己との葛藤でしかなくなる。
冷静を気取ることと、常識を標榜することと、しかしそれは二つとも虚仮でしかなく、そういう私たちはたやすく眼前に現れた、「ちょっとした神様」の信者に変わり、幼く、そして小刻みな自分からの剥離を体験していない、つまり本当はない自分を本当の自分だと信じているけれど、それはただの浅知恵でしかなかった。
そうしたことへの涙の出ない悲しみ。