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 さて、また作り方が変わりました。これまではテクニック的なもの、ある意味でマイナーチェンジとしてのそれだったわけですが、今回は明らかに以前と区別できるものです。イチローはバッテイングをよりよく変えると「今まで何故この方法を取らないで打てていたのかわからない」と感じるそうですが、そんな感じです。これまでどうやって作っていたのかが思い出すのが困難です。
 得られるものと同じくらい失うものも、あるのだとすれば、それを繋ぎとめ防いでくれるものこそ今までの遺物、自分が残したもの、つまりはシナリオなのです。そのためにも記録と製作は今まで以上に意識してゆきたい。頭の中だけにあっても消えてしまうし、ハッキリさせることは無理でも何かしらの断片として公開していくならば可能だと思うからです。今ならば。
 ただこの場合のネックは、やはりプログラムですね。こればっかりはテキストを書くように楽しめません。だから損です。そういえば、コンピューター言語はテキストなのでしょうか。自動に永久に効果を発揮するプログラムとは一種の神なのでしょうか。巨大COMPがラスボスになることとの関係や、しかしそれが最後には主人公に打ち倒される、そういう限界性とは何であるのか。それは自分を無限であると騙さなければ、本当に無限のごとく広大な世界に立ち向かえないということなのでしょうか。人間は有限で、プログラムと同じであり、だからロボットは作ることができた。現実は私たちの無限性を否定し続けていくわけです。その先に何があるのか? そんなものを妄想してみることもまた想像的で、楽しい暇潰しになります。



 それはさておき空想異譚を更新しました。楽しんでいただければ幸い。